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シャフレ・スーフテ [風景]

砂漠の中の文化.PNG


シャフレ・スーフテ(ペルシャ語で「消失した都市の意)は、イラン南東部スィースターン・バルーチェスターン州の中心都市ザーヘダーンから150 km、ザーボルから56 km離れた、ザーヘダーン-ザーボル街道沿いにあります。

シャフレ・スーフテはイラン高原の東にある最大の都市集落の1つで、人々は紀元前3200年にこの場所に居住していました。

考古学者が発見したデータでは、この都市の広さは280haあります。この古代都市は以前、北東部の住宅地区、中央地区、工業地区、記念的建物そして墓地からなる5つの主要な地区に分割されていました。 人々は80haある住宅地区に住んでいました。

シャフレ・スーフテ博物館にはたくさんの遺物が保存されています。動物の皮に始まり、藁でできたマット、陶器、さらには墓地から運びこまれた死体まで、この博物館はシャフレ・スーフテを一種の完成させたものです。博物館の中では、各種の陶器を見ることができます。また、義眼、外科手術、定規、そして人々が余暇に遊んだ遊戯盤などの個人の所有品もあります。

この古代都市ではさらに、4800年前にすでに世界最初の脳外科手術が行われました。

この街の住民は靴を生産し、靴産業がありました。

世界最古のアニメーションや動画は、この街で発見され、そこにはヤギが植物を見つめ、それを登っていく様子が映っています。

この街では、精度0.5mmの古代の木製定規が発見されています。

当時、街の住民はチェスとバックギャモンを楽しんでいました。

この街では、上水道や下水の処理に使われたと思われる多くの陶製の管が見つかっています。

この街では、紡績、旋盤、モザイク細工、大理石細工、陶器づくり、印章作り、マット織り、金属製道具作りなどの産業が行われていました。

さらに、墓の見本があり、これらは棺桶の墓や胎児の墓と呼ばれています。その理由は、この街の人々は、死後の世界は、母親から生まれた胎児のように、同じようにして埋葬され別の世界に移されると信じていたからで、水と食べ物を一緒に添えていました。埋葬時にどの階級に属しているかが分かるような埋葬例は全部で10体あります。

(引用 ParsToday 2月 21 、2021 18:57 Asia/Tokyo)

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(落書き)

イラン広し。砂漠のような荒れ地に残る集落の跡。

紡績、旋盤、モザイク細工、大理石細工、陶器づくり、印章作り、マット織り、金属製道具作りなどの産業のほか4800年前には脳外科手術が行われてたというから驚く。

そんな文化の発達した地域が消えたのはなぜか。

現代社会においてもそんなことが起きるかもしれない。

私たちが守るべき国はここにある。

しかし、その国を守ることができなければ、「昔、日本という国があったとさ」と昔話のネタにされかねない。

1人1人の生き方をもう一度振り返り考える時が来ているに違いない。

 



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