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視点; ホメイニー師の思想と政策 [宗教]

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ホメイニー師


今から30年前、つまり1989年6月2日、イランの人々は大きな悲しみの中で、イスラム革命創始者のホメイニー師に別れを告げました。

ホメイニー師は、イランで革命を指導し、1979年、世界の革命の中でも類を見ないイスラム革命を勝利に導きました。彼は革命後、イランのイスラム体制の基盤を構築し、国内のさまざまな出来事や外国の敵意に対する中で、それを守ってきました。

ホメイニー師は、不均衡な戦争の中で、イランの新たな体制を8年間にわたり守り続け、イスラム革命の理想をあきらめることなく、イランの領土を保全して来ました。

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イランイラク戦争

多くのアナリストは、ホメイニー師のカリスマ性がイスラム体制を確立し、存続させた秘訣だとしました。革命の敵は、ホメイニー師が死去したことで、政治権力をめぐり国内の対立が激化し、国民の統一と、国の政治における団結が失われることを期待していました。しかし、この歴史的に重要な時期において、専門家会議は、ハーメネイー師をホメイニー師の後継者とし、新たなイスラム革命の指導者とすることで、この困難を回避させ、再び敵は失望することになりました。

現在、このときから30年が経過していますが、イランのイスラム体制は以前よりも強力に理想達成の道を歩んでいます。ホメイニー師の命日は、この人物のイスラム革命を導く上での思想や政策の特性を振り返るのに、適した機会となるでしょう。

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ホメイニー師とハーメネイー師

この100年間、世界各地で多くの革命が発生し、その一部は最終的な勝利を手にしています。しかし、イスラム革命は、さまざまな理由、特にホメイニー師の類を見ない導きにより、他の革命よりも優れたものになっています。

ホメイニー師は、他の世界各地の革命の指導者とは異なり、宗教学者であり、宗教的に模範となる人物でした。この重要なポイントは、革命の成立と勝利の時期の中で、2つの主な言説が世界の政治と思想を支配していたという点に注目するとき、明確になります。

ひとつの言説は、マルクス主義革命であり、これは基本的に宗教を反革命的とみなし、持たざるものに対する搾取の正当化の要因とされています。もうひとつの言説は、リベラル資本主義であり、宗教を政治や社会から排除し、世俗主義的な原則を受け入れ、政治や社会を動かす中での宗教の地位を認めていません。

ホメイニー師はイスラム革命を指導することで、「イスラムが民衆のアヘンでもなく、苦しむ人々の搾取を正当化するものでもない。むしろ政治や社会に干渉し、自由や独立、社会正義、精神性を社会に広めるものだ」ということを証明したのです。

また、革命の政治的指導におけるホメイニー師の特性とは、神と人々の力を信じ、頼ったことです。ホメイニー師は、王制を打倒するためのすべてのイデオロギーが行き詰まりに陥った際に、抗議運動の指導者の責務を担っていました。ホメイニー師はイスラムのイデオロギーを他のイデオロギーの代替として提示し、人々を王制との戦いに導いたのです。

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ホメイニー師

ホメイニー師が戦っていた政権とは、完全に武装し、大国が全面的に支援していた政権でした。ホメイニー師の運動が、冷戦にもかかわらず、アメリカとソ連のいずれも王制を支持していた中で、頂点に達したのは、興味深いことです。

ホメイニー師は、ただ神の加護に希望を託し、闘争の場に足を踏み入れ、人々も彼を信頼していました。ホメイニー師は、神だけでなく、人々の力も信じており、体制転覆のために暴力的な闘争を行い、失敗に陥っていた当時のほかの政治グループとは違い、すべての人々が一丸となって抗議運動に参加することで勝利すると信じていました。このため、革命の勝利はわずかな時間で、可能な代償により、軌道に乗ったのです。

ホメイニー師は当時の情勢に大変精通していました。彼は学生だった若いころ、イランや世界のニュースを追っていました。この知識や意識は、歴史的な将来を決める決断において、大変大きな影響を与えました。

革命のさなかに提示されたホメイニー師の言説は、20世紀初頭の立憲革命時代以後のイラン国民の歴史的な要求や、当時のイランや世界の開明的な人々の理想を含んだものでした。イスラム革命の勝利に効果的な役割を果たした、この内容は、ホメイニー師が当時の状況に精通していたことによるものです。

たとえばホメイニー師の言葉に見られるパレスチナ人の支持と、シオニスト政権イスラエルに反対する立場も、イラン人の歴史的な要求において、重要な位置づけを有しています。それは、イスラム諸国をはじめとする世界各国の開明的な人々が、特別な感情を持っている問題で、彼らはこのような立場をとったホメイニー師とイランの人々を賞賛しました。

また、ホメイニー師の政治的な言説における、類を見ない特徴のひとつは、ホメイニー師がシーア派、スンニ派のイスラム教徒の団結の必要性を訴えたことです。これは、自らのアイデンティティとイスラムの栄光を取り戻す上での、イスラムの改革者の理想なのです。

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ホメイニー師

ホメイニー師は、イスラムを再生し、外国の介入者と内部の圧政者に対抗する上でのイスラム教徒の団結を呼びかけていました。また言説だけでなく、実務的な事柄においても、この理想を実現する上での先駆者であり、このため、ホメイニー師は他の宗教的な改革者とは異なっていたのです。ホメイニー師はこの理想の実現のために、歩みを進め、命を懸けて勇敢にそれを守り抜きました。このため、イスラム革命はイスラム諸国におけるイスラムの目覚め運動に大きな影響を与えたのです。

これまでお話してきたホメイニー師の特性は、他に類を見ないものであり、また、イスラム革命が勝利し、イスラム体制が存続した秘訣でもあります。

イランのイスラム体制が40年後、過去よりも強力になって存続しているのは、この特性によるものです。それは、神と人々の力に頼ること、抑圧されている人々を支持すること、外国の脅迫を恐れないこと、イスラムとイスラム教徒を再び偉大な存在にするためにイスラム教徒の統一を強調すること、といったことです。

しかし、ホメイニー師の理想によって革命を起こしたイランの力が、世界や地域で増すとともに、敵の脅迫も増え、それもより複雑になっています。ホメイニー師と革命の敵はより複雑な計画を立て、イスラム世界で、イスラム的であるかのように見せかけている偽りのテロ集団を作り出しました。

現代世界で抑圧された国民を、横暴で不正な外国の干渉や圧力から救出することができるものとは、創始者のホメイニー師の思想に基づいたイスラム革命の言説なのです。

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イマーム・ホメイニー霊廟
 
(引用 ParsToday 2019年06月03日04時30分)
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(落書き)
ホメイニー師はコーランを読み聞かせていた一方で旧約聖書も読んでいたはずだ。
その中で、パレスチナにシオニストユダヤ人が集結しイスラエルを建国したが、パレスチナ人の支持とシオニスト政権イスラエルに反対する立場をとったのはなぜか。
旧約聖書のエゼキエル書は預言書だが、そこではイスラエルをペルシャがロシアを引き連れて戦うが、破れてしまうという内容が書かれている。そしてメシアが再臨して、アブラムの子孫12部族がエルサレムに住み、その周りの地域にパレスチナ人(アラブ人)たちが平和に暮らすことになっている。
恐らくホメイニー師がパレスチナ人の支持と、シオニスト政権イスラエルに反対する立場をとったのは、ホメイニー師が失われた10部族の1部族であることを知っていたからではないのだろうか。
イスラム教シーア派はアリとその子孫を正当な後継者としている。それは部族の流れを失わないための方法だったに違いない。
 
イラン(ペルシャ)がイスラエルを攻撃すればイランが破れるという預言が成就するはずだ。
イランがアブラムの子孫12部族の子孫であることだけではイスラエルを敵対できない。
そこで決心したのは、シオニスト政権イスラエルは「ユダヤ人と自称するがユダヤ人ではない」という聖書の言葉ではなかったのか。少なくともどの宗教の教えから見ても聖書の民としてのユダヤ人ではないと判断したのだろう。だからこそ、敵対することが出来たのではなかろうか。
ユダヤ教もイスラム教も一神教でありその神は同一であると信じていたに違いない。

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