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ペルシャ湾の日 [ちょっとしたこと]

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『ペルシャ湾』

 

4月30日は、1622年にペルシャ湾からポルトガルの占領者を追放したことにちなんで、「ペルシャ湾の日」とされています。

ペルシャ湾は国際的に重要な水路とみなされており、常に政治的に重要視されています。また、常に東西の貿易ルートとして、大国の対立の場となってきました。

ペルシャ湾岸の一部のアラブ諸国は、近年、西側の植民地主義的な行動により、ペルシャ湾の名称を歪曲しようとしていますが、一方で、大変古くからペルシャ湾という名称が使われてきました。

世界の重要な石油移送ルートであるペルシャ湾はまた、イランの文明と分ちがたく結びついています。(引用 ParsToday 2019年04月30日04時30分)

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(落書き)

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ペルシャ湾の日没の様子(撮影:タスニーム通信)
表題の最初の写真は高高度からペルシャ湾を撮影した写真だ。
この写真の地で紛争が起きているというのは想像もつかない。
そして、ParsTodayの記事の下に「ペルシャ湾の日没の様子」という記事が掲載されていた。
使用されていたのはタスニーム通信の撮影した写真。記事の内容は「ペルシャ湾の日」と同じ内容であった。
この写真を単なる風景写真と見ることもできるが、イランのメッセージ写真のように見える。
三角の岩は上が西、下が東とするとペルシャ湾に面するイランに見えるからだ。
「ペルシャ湾の中心はイランである。平和であったペルシャ湾がまもなく暗黒になる」とでも言っているかのように見える。
もっと深く解釈すれば、「イランは日本とともに昼(平和な時代)を過ごしたが、ペルシャ湾がまもなく夜(暗黒の時代=戦争)を迎えようとしている。日本がイランから見えなくなるのがとても悲しい」とでも言っているかのように思えるからだ。
イランが今上天皇の退位の日にあたり感謝の意を表明し、今後のペルシャ湾地域での戦争勃発を覚悟しているのではなかろうか。
いずれ約400年前のペルシャ湾解放の記念日の話を2つも掲載したことには理由があるに違いない。

 


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