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イスラム教と仏教の対話 [社会]

ミャンマーのイスラム教徒が、人類史上最も大きな苦しみを味わい、最悪の抑圧の中で過激派仏教徒によって、最も危険な形で財産や生命、尊厳が脅かされるようになってから、3年近くになります。しかし、彼らの正義を求める叫びは、喧騒の多い現代世界においては誰の耳にも届きません。20e2fe326ee92dced9b0cfd935afb4e6_L.jpg


3年前、ミャンマーのイスラム教徒の焼死体や見せしめにされた遺体、やせこけ、頼る人のない子どもや女性の顔が、インターネットのソーシャルネットワーク上で提示されました。当時、国際団体がこの人道に反する犯罪に速やかに反応を示し、この虐殺を阻止することが期待されていました。しかし、人権を求める人々は、これに対して沈黙するのみでした。この無関心や沈黙は、歴史や政治を知っていれば、予想できなかったことではありませんでした。テロとの戦いを主張する人々は常に、イスラム教徒に対する犯罪においては、差別的な対応をとっています。それはまさに、パレスチナのイスラム教徒の虐殺や、シリアやイラクの人々に対するタクフィール主義のテロリストの犯罪行為の中で、シオニストやワッハーブ派のテロリストが支持されているのと同様です。
覇権主義の首脳たちは、様々な宗教の信者の間に亀裂を作り出すため、あらゆる口実を利用し、最低限の費用で自分たちに反対するあらゆる宗教や信条の人々を消し去ろうとしています。つまり、国際機関による、暴力を排除し、平和を確立する効果的な措置を期待することは出来ません。こうした中、過激派による苦痛を緩和し、平和を手にするための効果的な方法のひとつとは、様々な宗教の学者が互いに歩み寄り、信者たちを宗教的な真実に気づかせ、覇権主義者の陰謀を暴露することで、彼らに対し反対する思想を持つ人々への自制した行動を勧めています。
イランのイスラム学者は、「過激派と暴力に対抗するためのイスラム教徒と仏教徒の協力」というイスラム教と仏教の対話による会合を、テヘランとテヘラン南方の聖地ゴムで開催しました。この対話には、イランのイスラム教徒の思想家と、スリランカ、ミャンマー、タイから来た高位の仏教指導者が参加し、先月31日から今月1日まで開催されました。この対話において、イスラム教と仏教の思想家は、暴力に反対するこの2つの宗教の共通点や、道徳的、精神的な価値観を拡大する中での宗教の指導者の役割に関する研究を提出しました。この対話ではイランのイスラム学者に加えて、イランの一部の文化人や、スリランカの大統領顧問、ミャンマーの国際仏教研究アカデミーのニャニサラ所長、タイの仏教寺院の院長が演説を行いました。
この会合の開会式に際して、イランイスラム文化通信機関のトルキャマーン長官は、この対話の結果に期待感を表し、またこの協議に仏教の指導者や、宗教的なマイノリティの代表が参加したことに満足の意を示すとともに、創造主に従うことは、欲望に流されることを阻止し、絶対的な完成に至ることができるとして、次のように語りました。
「今日、過激派グループが神よりも自身を高く位置づけ、自分こそが真偽を判別する基準だと見なし、他人に対するあらゆる暴力行為を許されるものとしている光景が見られる。今日、宗教という名のもとに世界規模で拡大している暴力は、宗教的な基盤を持たない。またこれらの暴力行為は、宗教的な無知を発端としている。このため、その根源はこの暴力の中で利益を得る一部の思想の長期的な計画の中にさぐるべきだ」
トルキャマーン長官はまた、仏教の崇高な真理の原則に触れ、「涅槃の悟りに至る第4の道とは、欲望を捨て、正しい行いにより、他人を傷つけるのを自制し、人間の生存権や健康、尊厳を尊重することだ。これらは全てイスラム教と共通している」と語りました。
今回のイスラム教と仏教の対話では、ミャンマーの仏教的指導者で国際仏教研究アカデミーのニャニサラ所長が、心の教育における仏教の教えについて強調し、次のように述べています。「内面の強化と否定的な感情を遠ざけるためには特定の方法をとる必要があり、強く清らかな心と、否定的な思想と戦うことで、私たちの行いは正しいものとなり、それによって暴力を防ぐことができる」
ニャニサラ所長はまた、すべての宗教に共通の時代に触れ、次のように述べています。「宗教の核となるものを知らず、宗教の外面に依存することにより、多くの誤解が生じ、戦争の兆候を生み出すことになる。このため、仏教や、イスラム教、そのほかの宗教においても強調されている愛や優しさをもって、人道に反する暴力を未然に防ぐべきだ」
テヘラン大学高等芸術研究グループの部長も、イスラム教は動物に対する暴力さえ許さない宗教だとして、次のように語っています。「仏教の5つの原則のうち、第1の原則は命あるものに対する非暴力と不殺生だ。われわれは、今日仏教の名の下にイスラム教徒に対して攻撃を行う人々を仏教徒とは見なさないのと同様に、テロ組織ISISをイスラム教徒とは見なさない。イスラム教徒と仏教徒は世界の総人口の3分の1以上を占めており、この2つの宗教は明るい未来に向けた計画の中で共存し、人類の救済に努力すべきである」
イランのイスラム教国際友好機関の事務総長をつとめるタスヒーリー師も、「残念ながら、ほかの宗教の真実を知らないことで、多くの問題が生じている。宗教的な衝突による多くの問題は、実際には、宗教の敵という政治的な目的による衝突だ。各宗教の根本的な核は、人類に対する貢献の中での、愛と真理の認識であり、愛のない宗教は無に等しく、愛は人間を絶対的な完成へと導く」と語りました。
スリランカの大統領顧問はこの対話で、次のように述べています。「仏教とイスラム教には共通点が存在することから、この共通点を宗教的指導者を通じて、人々に伝えることができる。イスラム教も仏教も、継続的な交流と協力から相互理解を見出すべきだ。これによって友好関係が築かれ、最終的に暴力や過激派と戦うことになる」
この会合の終了に際して、終了声明が発表され、世界中で宗教の名のもとに行われている過激で暴力的な行為が非難されました。この声明ではまた、各宗教と各宗派の教えや神聖を尊重し、価値観に反するものが価値観にならないようにすべきことが強調されました。また、イスラム教と仏教の指導者や学者の共通の計画は、自分たちの社会、とりわけ若い世代に宗教や道徳的な価値観を知らせるために必要不可欠だとされました。
イスラム教の聖典コーランは、次のように述べています。
"言え。ほかの宗教の信者よ、我らとあなたがたの間に共通する言葉を守ろうではないか。神以外のものを崇めたり、神以外のものを神と同列と見なさないようにしよう。我々のうち誰も、神以外のほかのものを神として崇めることのないように、と"
コーランのこの節では、神はイスラム教徒に対して、もし神聖な目的の全ての達成のために誰からも協力が得られない場合には、少なくとも目的が共通する部分において協力を呼びかけ、敵対行為を避けるよう呼びかけています。
宗教的な平和的共存は、イスラム教の基本的な思想のひとつであり、コーランの多くの節でも、さまざまな形で明確に強調され、奨励されています。コーランの見解では、中世の十字軍のようにほかの一部の宗教で見られる形での、宗教信仰の対立による宗教戦争や他者の排斥は意味を持ちません。ほかの宗教の信者に対する敵対や憎しみは禁じられており、他人に対し侮辱的な方法をとることは、宗教にそぐわないものなのです。<引用 iran Japanese Radio 2015/01/12(月曜) 18:34 


<落書き>

イランのイスラム学者は、「過激派と暴力に対抗するためのイスラム教徒と仏教徒の協力」というイスラム教と仏教の対話による会合を、テヘランとテヘラン南方の聖地ゴムで開催したとのこと。

まともな宗教なら人が守らねばならない教えは共通する。

互いにアジアの民だから話し合いができたのかもしれない。

アジアに平和が訪れるよう相互理解をさらに深められるように祈りたい。


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