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#COVID-19 コロナ差別考 [COVID-19]

医療従事者の子供をコロナの疑いで差別したり、新型コロナに感染したことで差別が起こる原因は思考遺伝である。


関東以南から関西までにその差別思考が顕著である。


それは、部落差別と同根であり、同和問題の潜流である。根本的には関西に根を発するが、人的移動により関東圏まで広がっている。


そして部落差別同和問題は蝦夷征討にまで遡る。


青森県のねぶた祭などは坂上田村麻呂の蝦夷征討を題材として行われているが、あれは蝦夷の人々の平和を壊した坂上田村麻呂の所業を忘れないために行われている祭りだと思っている。


蝦夷征討ではアテルイが坂上田村麻呂に降伏し河内国椙山で斬られた。同時に蝦夷の住民を俘囚として平安京付近へ住まわせた。蝦夷は狩猟や武芸に秀でており、朝廷が軍事力として利用した。一般の公民よりも優遇されるなどしていたために差別が起きた。


その証拠は嵯峨天皇が発した蝦夷に対する夷俘と蔑称することを禁止する勅「既に皇化に馴れて、深く以て恥となす。宜しく早く告知して、夷俘と号すること莫かるべし。今より以後、官位に随ひて称せ。若し官位無ければ、即ち姓名を称せ」で明らかだ。


やがてほとんどの俘囚は奥州に戻されるが、戻らなかった俘囚が住んでいた平安京付近の部落においては官位のない俘囚が多くいたため、その後エタ(穢多)としての差別が続いた。これが部落差別の潜流だ。


俘囚がエタ(穢多)としての仕事のひとつに動物の皮のなめしがある。中でもネコの皮なめしは三味線文化の発展に大きく寄与した。しかし、ネコの皮なめしは三味線文化に興味のない一般民衆からすれば残虐だという見方しかできない。そして、その動物の逆剥ぎ・生き剥ぎの類は天つ罪・国つ罪という神道的理由によるはずだ。


宗教的教え、地域的教え、親の教えが個人の思考のよりどころとして子供のころから叩き込まれる。その思考回路こそが部落差別であり、学校内のいじめ問題であり、コロナ差別問題に繋がっている。


簡単に言えば新型コロナに感染したくない(自分に都合が悪い状況を避けたい)と強く思う人、自分より相手が優位に評価されている(自分が劣後している)と強く思う人が顕著に差別を作りだしているのだろう。



緊急事態宣言が出されているのにパチンコをしに行く人を批判することそれもまた差別の要素だ。

また、「差別をするような(賤しい)人にならないようにしよう」と考えることすら差別の要素となるのだ。

差別の要素を持つ人はいずれ差別を行う。


日本は多民族国家であり同一民族として同化しつつあるがいまだ完成されていない。それは民族による宗教・思想が自由だからだろう。差別要素を思考しないようにならない限り今後も差別は形を変えて起こり続けるに違いない。








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